ピアノの先生になる前は、何してたの?
ピアノの先生になるまでに何をしていたか
という話題になりました。
学生時代からピアノを教えていた、というピアノの先生も居ましたし、
一般企業に勤めた経験のある人も、
大手ピアノ教室の講師を経て、個人ピアノ教室を開業した人も・・・。
そんな中、わたしは・・・
「仕事していなかったのよ~。
でもピアノの先生をやってみたら、とってもやりがいがあって、楽しくてね~」
なんてお話しました。
はい、これ、この通りです。
でも、あとで思い出してみるに、ちょっとは、何やらやっていました。
学生時代から、ピアノの先生になる前くらいまでは、
曲目解説など、書く仕事は、少しだけど継続してやっていましたねぇ。
演奏会に行くと配られたり、有料で買ったりする、プログラムノートの中で、
演奏曲目について解説したり、
ときには特集記事を書いたり。
某都内オーケストラのプログラムノートだったり、音楽雑誌だったりしたこともあります。
そういえば、学生時代に、ピアノの先生のご紹介で
産休中の代講ピアノレッスンを2か月ほどしたこともあったっけ。
でも、ピアノが上手な人、教えるのが上手な人は、世の中にはゴマンといる中で、
何も私がやらなくても・・・と、
当時は、ピアノの先生という職業を 自分事のように思えませんでした。
それから、地方の中学校の吹奏楽部に遠征して、コンクール前のコントラバス指導もしていたっけ。
学生を終えてから、2年間の任期で、学校に残って「助手」というお仕事をいただいて、
それから、国際音楽祭のスタッフも、期間は短かったけれど、2件ほど務めました。
今思えば仕事ができなかったのだとも思うけれど、
それにしても、大きな音楽祭の中のさまざまな業務に対してスタッフが足りな過ぎて
(1人半、笑)、
毎日終電という、ブラックな働き方をしていました。
でも、ポスターやチラシのデザイナーさんと打ち合わせをしたり、
いろいろな紙媒体の校正をしたり、
海外の演奏家とやり取りをしたり
(自由な音楽家たち…みんな、いろんなことを言ってくる…笑)、
実際に素晴らしい演奏や演目を目の前にすることができたり、
今思えばいい経験をさせていただきました。
音楽祭の仕事がキツすぎて、一区切りついてからロシアへ逃亡し
(人生の中で一度くらい、コントラバスだけをする時間がほしい!と思って・・・)、
ビザの期限を迎えて帰国後、再び渡露する費用捻出のため、腰かけのつもりで派遣で事務仕事をしたこともありましたっけ。
生まれた子どもが少々手がかかる子だったことをきっかけというか、言い訳に、
その後は、たまにやる執筆以外はお仕事しない時間が長いまま、
やがてピアノ教室を開業することになり、今に至ります。
なので、「仕事していなかったのよ~」は、この頃の話ですね。
今では、一番長く続いているのは、ピアノの先生業です。
あれほど、自分なんかがやらなくても…と思っていたのに、
このお仕事、今は辞める気は全然ありません(笑)。
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