1/29 ピアノで世界を周って…はいませんが
さて、今日のブログ記事はココから。↓
今日は日曜日でレッスンも少ないので
ゆるっと綴ります(いつもか…)。
へ~え、ココのピアノの先生ってこんな人なんだ~
ってことが伝わる…かも…しれないです。
昨日、小学1年生とレッスンしていて
ぽろっと彼女が言いました
「せんせい、世界をピアノで周ってたんでしょ」。
え?! なんのことだろう?!
世界をピアノで周るって、世界的ピアニストみたいじゃない?!
いや、確かに昔外国に居たことがあるけど、そういうことかな?
そう解釈して、その話はそれ以上拡げませんでしたが、
びっくりしました(笑)。
というわけで、「わたしと海外」についてつれづれ綴ります
(きっと誰も興味ない、笑)。
わたしは子ども時代に2年半をシンガポールで過ごしました。
まだ「発展途上国」と言われた時代だったこともあり
時には野性的な遊びをしたり、現地のお祭りなど、
大いに刺激を受けた時期でした。
帰国して日本の小学校の習慣(給食の食べ方とか、笑)を
クラスメイトに教えてもらい、
その小学校が海外からの帰国子女の研究校みたいな学校だったので
時々他の学年の、いろんな国から帰ってきた人たちと交流する
不思議な時間もありました。
父は、発展途上国や開発途上国と言われた国々へ
とても頻繁に行ったり来たりしていたため、
実家には不思議な置物があれこれあります。
ヨルダン、イラク、アルゼンチン、エクアドル
などは、一時期本当にしょっちゅう行っていました。
なので、家で諸外国のニュースを見ていて
「お父さんあそこへ行っていた」とか
「お父さん、あそこで〇〇盗まれた」とか
「あそこに行ったときはクーデターでホテルに缶詰めだった」とか
そんな話題が出たりしておりました。
さて、わたしの話に戻ると
大学生の頃、父はアメリカの若干田舎に赴任していたので
毎夏1か月ほど行っていました。
アメリカの田舎の 音楽部のある短大を見学に行って
自分の通う音大の雰囲気との違いにビックリしたこともあります。
アトランタのマクドナルドでコーラ Sを頼んだら
南部なまりの強い英語で聞き返された挙句、
ニヤニヤしながら Lサイズのものを渡されたことも。
車でカナダの湖を周ったり、大自然を満喫したこともありました。
そういえば、シンガポールでもアメリカでも
現地の人の結婚式に招待していただいて異文化を見ましたねぇ。
長かった学生時代を終えて、大学で助手をして
それから1年だけ音楽関係の仕事をして、
ぽーんとロシアへ行ってしまったのが、
今のところ最後の海外体験です
(ロシアから引き揚げるときに、ヨーロッパをいくつか回って
ニューヨーク→サンフランシスコ→日本
と世界を周って帰ってきたこと、今思い出しました!
うん、世界周った!笑)。
ロシアに居たのは短い期間ではありましたが、
コントラバスの練習のために毎日毎日音楽院へ通い
(電車と路面電車を乗り継いでさらに歩く、遠さでした)、
外国人用の寮で貧しい自炊をしながら寮の人々との交流がたまにあったり、
週に3~4回はオペラやオーケストラのために劇場に足を運ぶ
という日々を過ごしました。
この体験で、遅ればせながら「音楽っていいな~」ということが
心の底からわかりました。
遠い日本からやってきたわたしを一番親身に心配してくれた学生は、
原発事故をきっかけにウクライナから移住してきたユダヤ系の人でした。
そしてわたしが日本に帰国後、アメリカに渡り、
今ではミュージシャンをしています。
そんなこんなを 久しぶりに想い出した日曜午前です。
コロナと争いで、世界がとても遠いなぁ・・・。
今日の写真は、以前購入した本。
眺めていると、タイムスリップしたようなゆったりした時間を味わうことができます。
(最近表示がおかしいのですが、タップしたら跳べます)
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