ミス・ラオスイレンのこと
水曜日と金曜日は講師2人体制となりました。
夏休みということもあり、つれづれ綴ります。
前回のブログでちょっと書いた、
わたしにとって二人目のピアノの先生のおはなしです。
幼稚園の最後の1学期を中退して
年始早々にシンガポールに引っ越したわたし
(のちにちゃんと、卒園証書やアルバムが日本からとどけられましたが)。
今思うと、全然熱心でなかった母なはずなのに
手配が素早すぎる!とびっくりですが、
気が付いたら、日本から船便で取り寄せたという新しいヤマハのピアノが家にあり
どなたか日本人からの紹介で、新しいピアノの先生が決まっていました。
ミス・ラオスイレン というお名前だったと記憶しています。
「ラオ・スイレン」だったような気がしていますが、
カタカナで耳に入ってきたので、正しいお名前ではないかもしれません。
若くて美人な中国系の先生は、
日本の音楽大学に留学したご経験もあるとか。
片言ながら日本語を読み書きできる方だったので、
レッスンで困ることはそれほどありませんでした。
大人とフレンドリーにお話できない子どもだったので
先生もやりずらかったかと思いますが、
良くも悪くも譜読みだけは早かったので
テキストはどんどん進み、
淡々としたレッスン(わたしが淡々としていたから…笑)ながらも
かわいがっていただいていたのだと、気づいたエピソードもいくつかありました。
なぜかある時、先生にお誘いを受けて、
ファミリーと一緒に中華系の舞台に連れてっていただいたなぁ。
ちんぷんかんぷんだったけどね(笑)。
全然先生になつかなかったわたしですが
(大人の前ではだんまりだったので)
今、こうしてピアノの先生をやっていると知ったら
喜んでくださるかな…なんて、ちょっと思ったり。
だって、昔の教え子がピアノの先生になったって知ったら、
わたしだったら嬉しいですし。
余談ですが、シンガポールに住んでしばらくして、
これまた日本人の紹介で英語のレッスンに来てくれていたのは、
サリーを着たインド人のおばあさまでした
(当時はおばさまだったのかもしれない)。
独特の香りがして(いやではない)、
ベージュのワーゲンで通ってくださっていたなぁ。
『ツェルニー100番」に書き込まれている
当時のピアノの先生の文字から、
まぁ、そんな子ども時代をふっと想い出したのでした。
今、通ってくれている子どもたちにとっても
いつかわたしは「想い出のあの人」になります。
いい影響もだけでなく、
もしかしたら嫌な影響もゼロではないのかもしれないけれど、
いつかこうして、誰かに想い出されるのかなぁと思うと
不思議な気持ちになります。
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